そろそろ卒業シーズンですが、今回の卒業は、学校の卒業という事だけではありません。
ひとつのモノ事を「卒業」していく、という意味。
学校というワクを卒業する事も、たぶんその一過程ではあると思いますけれど、別にそれはストレートに卒業する事が必要なわけではありません。
人生は、大きな学校みたいなもの。
地球学校に生まれて、幼稚園レベル、小学校レベル、などなどを経験して過ごして成長しているとも言えるかな?と思いますけど。
わたしは、小学校の頃から、「何故生まれてきたのか?」を悩んで考える子どもでした。
周りの友達の両親や、小学校2年の時には、同級生も、突然亡くなったりするのを見てきたので。
何故、死んでしまうのに、何故大人にならなきゃいけない?何故勉強しなきゃいけない?何故、何のために自分は生まれたの?
なかなかハッキリと、すっきりと答えは出ませんでした。
でも、だんだんわかってきた事がありました。
地球に肉体という宇宙服を着て、生まれてきていて、自分の本体(たましい?)がその中身なのだ、ということ。
そしてきっと、何度も別の宇宙服で、地球か、違う天体か?に、生まれてきた事があるはずだという事。
まぁだから、最後の卒業といったら、この肉体から卒業という事になりますけれど。
その前に、ひとつひとつ、クリアして卒業していく必要があるのかな、と思うのでした。
何か問題が出て来るのは、その問題が必要なわけで。
意地悪をする相手だったり、ショックな出来事だったり、事件や事故だったり、大きいも小さいも、生きていると、色々出てくる事がありますよね。
ドラマの中には、かならず伏線ってあるじゃないですか。
次の「何か」が出てくるためのモノ。
「問題」って伏線みたいなモノだと、わたしは思っているのですよね。
それを、乗り越えた時には、違う景色が出てくるの。
でも、そんな事言ったって、イヤですけどね?問題山積なのは・・・
それでも、自分のところに出てきた問題は、自分にしか解決できない問題だったりするわけで。
イヤでも、受け入れるしかないわけです。
この「受け入れる」という事が、一つの関門ではあると思うけれど。
受け入れないことには、次に進めない。
そして、受け入れて、何とかしようと思ったら、初めて、解決方法の糸口が、出てきたりするワケです。
ゲームでも、そうじゃないですか・・・進んでみないと、次の入り口は見つからないですもの。
大抵の問題は、「人」「人間関係」が絡むことが多いですよね。それからお金も、かな。
むしろ、人とお金が絡まない事は、あまり問題にならない?かも?
人、には自分自身も入れたら、他には問題になりようがないかもしれませんよね。
「自分」が「どう、受け止めるか?」次第とも言えるわけです。
女性はありがちですが、子どもの頃から、女の子は「人間関係」で揉めたりしませんでしたか?
私は、小学校の頃から、仲間に入れてもらえないとか、何か意地悪される?みたいな事で悩む事がありました。
母に言うと、「大人になっても、同じような事で悩むのよ。でも、早いうちに解決して卒業してしまうと、もうその問題は、来ても問題じゃなくなるよ」と言われたのでした。
その時は、どうやって解決したのだったか?記憶には無いのですけど。
その後、もう少し大人になってから、どうなったら、その問題を卒業できるの?と、母に聞いた事があるのです。
その時の母の答えは、「問題に感謝できるようになれば卒業だよ」という事でした。
問題に感謝。つまり、イヤだった事に感謝。
なかなか、すぐには出来ない事ではあったけれど、考えてみたら、自分の中で、もう卒業したなという問題には、感謝できてるな~という事を発見しました。
そして、確かに「当時は問題だった」事に感謝できた後には、と~ってもびっくりするような「解決」があったり、次の展開になって行ったりしているのでした。
きっと、読んでくださる皆さまにも、心あたりがあるのではないでしょうか。
問題から逃げる、時期があっても良いとは思います。どうしても取り組めない時もありますよね。
一旦避難するのは、大事な事でもあります。
でも、「逃げる」と追って来るのもたしか。
友人などで、何度も離婚されてる方が、何故か何度結婚しても、同じ理由で離婚されたりしてませんか?
お父さんが酒乱で、だからお酒飲まない人と結婚した筈だったのに、何故か旦那さんも酒乱になっていたり。
そんな話を、子どもの頃から見聞きして、「逃げても問題がもっと大きくなるだけ」と、見知っていました。
よく人からは「離婚しようと思わなかったの?」と聞かれることがあります。(過去の顛末こちら)
それが、思わなかったんですよ~。
問題をひとつずつ、卒業するしか無い・・・と知っていましたからね~。
それに旦那様の事は「自分が選んだ」ので・・・逃げるわけにはいかない、と思ったし、何より彼がツライ時に逃げるのは、違うと思ったんです。
結局、逃げない選択が、ラッキーを呼んだのではないかな?と思っています。
わたしの人生には、結構大きな問題が沢山あったのですけれど。
自分の中で、いちばん受け容れ難かったのは、「ガン」になっちゃった事だったでしょうか。
「夢なら覚めてほしい」と思いました。それも、完治できるかわからない、としょっぱなに言われてしまったので・・・。
ところが、それを「なっちゃったものはしょうがないし」と、何とか受け入れて、そして、「明日のいのちがわからないのは、ガンだろうと、元気だろうと、実は皆同じ条件だった」と気づいて、「皆、実は生かされている命だった」と思い当たったときに、と~っても気が楽になった事を覚えています。
そんな風に、「捉え方」を変えられたおかげで、いろいろと気づかせていただきました。
自分が死んでしまうかも?と思った時、初めて、夫がいてくださる事、たとえ働けない夫でも、存在してくださる事がありがたかったと気づきました。
頼れる相手は、夫しかいなかったのです。
家族にも、ただ感謝しかありませんでした。
そしたら、ラッキーにもふたつ目の、別のガンが手術直前に見つかって、同時に手術してもらう事もできて。
手術後には、いろいろあった問題が、なぜか奇跡的に解決していったのでした。
そんなこんなのお陰さまで、今では「ガンになったこと」には感謝しかありません。
お陰で、いま病気されてる人にも「大丈夫」と本心で言えるようになりました。
経験して乗り越えた事は、本当に強いです。
肉体は、何しろ全員が致死率100%ですからね、若くても年取っても、元気でも病気でも、明日の事は、実は全員わかりません。
それでも、生かされている命なんですもの。有難いばかりです。
そして、「何故生まれて、何故生かされているのか?」という問いも。
何で読んだか、覚えていないのですが、自分の中では納得したのでした。
神様(大自然の力)は無限で、宇宙を作ったり、火山を噴火させたりする力がある。でも、その無限の力のままでは、お茶は淹れられない、おしぼりは作れない。それでは、無限とは言えない・・・だから、人間として三次元の世界に生まれてきた。
っていうような文章を、何かで読んだとき、わたし、あ、無限の表現のひとりとして、神様の力の出口として、人間が必要で、全員が産まれてきたのだ、と、納得しちゃったのです。
そして、何しろ「無限」の一人だから。
全員、どんな人も、無限を表現してる一人だから、「どの人も必要」一人足りないと、神様の無限が一人足りなくなっちゃう!って気づいたのです。
そう、思ったときに、たとえ学校行けなくても、会社行けなくても、仕事無くても、関係ない。「その人が存在して生きていること」が大切~!って、本気で思ったわけなんです。
それに、「宇宙服」だからね、故障してたって、ほころびていたって、本体は、実は素晴らしいのよ。
っていうのが、わたしの人生観といえるでしょうか。
おかげさまで、何があっても「ありがたい~」と「ラッキー」を探せるようになりました。
途中経過ですしね、途中経過に文句いってもはじまらないし。
生まれて来たからには、ハッピーいただき済みなんですよね、ホントは。だって、神様の無限の一人なんですもの。
なかなか、説明しようと思うと、ひたすら長くなってしまって、すみません。
ともあれ、今、問題に見える出来事があったとしても。それはハッピーの前触れ~。
受け容れて、やるべき事を粛々とやってるうちに、きっと解決方法が出てきますし、乗り越えた時には、違う景色が見えてくるはず。
ひとつひとつ、卒業して、嬉しく楽しく過ごしましょう。
長文お付き合いいただいて、ありがとうございました♪
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