おばあちゃんの知恵袋5♪みんな違ってみんないい★

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子育てさなかには、なかなか気づかなかったことも、子どもたちが成人し、両親の介護も10年で卒業してみると、いろいろと分かってきた事があります。

そんな「おばあちゃんの知恵」を、ときどきお届けしています。

私は、結婚と同時に夫の両親と同居でしたので、「当たり前」が色々と違って、ビックリした事が沢山ありました。

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夫は土地持ちの一人っ子、私は、団地生まれ団地育ちの6人兄弟、長子の一人娘でした。

結婚してからわかりましたが、真逆の育ち方をしてきました。


前にもどこかに書いたけど、それぞれ「違って当然」だと思っている事には、まぁ違うよね、と受け入れられるけれど、「当たり前」だと思っている事って、「相手が変!」だと思ってしまうのですね。

でも自分が何を「当たり前」だと思っているか?なんて、違う相手と出会わないと、気づかないじゃないですか。


なので、最初は、ええ~?!というビックリの連続でした。

まぁ、同居を経験された方には、特に同意していただけるのではないでしょうか。

親と同居しなくても、パートナーとでも、同居して初めて「違い」に気づいたりしますよね。


雑巾の絞り方、洗濯の干し方、畳み方、しまい方、お風呂の入り方、どこで歯を磨くか?電気の消し方?洗濯物の出し方?・・・もうそれは数え上げたら、キリの無いほど。

そして、それって、実はよく考えたら「どうでもよいこと」「どっちでも良いこと」でもあるんですよね。

ただ、「気になって」しまうと、どうでもよいとわかっていても「気持ち悪い」事だったりして。


そして、何故か、「自分が正しい」と思ってしまいがちなんですよね。

だって、洗濯ものを、裏返して洗っても表にして洗っても、それぞれの言い分はあるし、良し悪しも、それぞれにある訳ですが。

でも、どちらかにこだわっていると、「何故こーゆー事をする?」となります。


その辺の一つ一つは小さな「違い」を「許せる」か「流せる」かどうかなのだけど、うっかりすると夫婦関係、人間関係まで、変わってきてしまうのではないでしょうか。



けれど、真逆の育ち方でも、夫はとても尊敬できる良い人でしたし、思いの外、マザコンでもありませんでした。

義母は、下の子を8か月で死産で亡くしていたので、本当に砂糖菓子のように愛でくるんで夫を育ててくれました。

子どもの頃、ピストルが好きだった夫は、100丁以上のピストルを持っていたそうです。

何しろ義母は、近所のおもちゃ屋さんの「当てくじ」の1等がピストルだったので、息子のために、当てくじを全部買ったのだそうですから!

もっとも、全部買っても1等が入ってなかったそうですけど。


一方、わたしは弟が次々5人もいたので、子どもの頃から、誰に言われた訳でもなく「お姉さんだから我慢しないと」と思っていました。

なので、欲しいものも「欲しい」と言えないうちに、欲しいと思う前に、どうせ無理だと諦めるようになっていました。

そして、20歳過ぎまで「もっと愛されたかった」思いを引きずりました。



夫と義母を見ていて、お互いに「卒業」して親離れ子離れしたように見えました。

私の方が、離れられずにいたように思いました。

その時に、あぁ、どっちでも大丈夫なんだなぁと思ったのです。



子どもが生まれて、義母は孫をそれはそれは可愛がってくださり、洋服も、一度に何枚も沢山買ってくださって、私の買う余地がなかったりしました。

好きなお菓子も「箱買い」してくださるので、辟易した時もありました~。



けれど、子ども達からは「大好きなおじいちゃん、おばあちゃん」でいて欲しかったのです。

(ほんとは、私が祖父母と縁が薄かったので、私が欲しかったのかもしれません)

なので「自分の見方」を変えることにしました。

おじいちゃんおばあちゃんは、買ってくれる人、ママは買ってくれない人でいいや、と思いました。

「相手を変える」ことは、ほぼ不可能なので、こちら側の「見る方向」を変えるしかないですよね。


そして、当時毎月開催していた「母親教室」に来てくださった先生に「同居してると社会性が身に付くのよ」と言われたのですね。

その時はよく意味がわかりませんでした。

けれど、子ども達が育ってきて、色々な先生や人に出会ったり、社会に出て理不尽な事を言う人に出会ったりした時に。

ああ、家庭の中で「いろいろな考えの人」がいるって、ありがたい事だった、と気づいたのです。

何でも買ってくれる人、ダメと言う人、薬を飲めという人、飲まなくていいという人、全部あってOK!


娘が嫁ぐときには、「当たり前って、家によって人によって、違うものだよ」という事を、よく話しました。

なかなか、出くわしてみないと、自分の「当たり前」に気づきませんが、それでも、なんか「生理的に許せない」事って、相手との「当たり前が違う」時だったりするんですよね。

そして、たぶん、ほとんどのパートナーは「違う」部分が必要で、引き合うのではないでしょうか。



五感に感じるものすべてが、実は人によって「同じ」に感じている訳ではありません。

私が見てる「赤」が、あなたの見てる「赤」とまったく同じ色だという証明は、そもそも出来ませんよね。


かつて息子は、中学の時に授業についていけていない事が判明して、県の青少年相談センターで検査をうけたら、発達障害のグレーゾーンだと言われました。

でも、私もそうだったかもしれない?と思いました。

そして夫も娘も、コミュ障だと、娘も言うので、それなら「普通」って何?ってことになりそうです。


息子は「味」や「匂い」に敏感で、どうしても「食べれない」ものなどがありました。

はじめは、「何とか食べさせなきゃいけない」と思っていましたが、吐いてしまうので、無理なのだとわかりました。

このような事が、だんだんわかってきて、やっと「感覚」って、実は皆それぞれ違うのではないかと思うようになったわけです。


夫がどうしても魚を受け付けない事も、理解できるようになりました。

そして、それなりに理解できるようになると、「許せる」ようになるんですね。


実は私は10年程前に、インフルエンザに罹った後で、「匂い」が変わってしまいました。

匂いが無くなった訳ではなくて、ちゃんと普通に戻ることもあるのに、カレーの匂いやパンを焼いた匂いとかが、知らない匂いになってしまったんです。

ちょうど、介護が始まった頃で、特に「臭いニオイ」アンモニア臭が、臭くなくて香ばしいニオイに変化していて、ありがたかったのですけれど。

なので、自分で勝手に「介護鼻」と名付けてラッキーとは思っていましたが、介護が終わっても、今のところ正常には戻っていないんです。

そして、先日乳酸菌系の飲み物の匂いが、全然知らない変な匂いに感じてしまって、飲めなくなってしまった事がありました。

この時に、息子や夫が「どうしても食べれないもの」がある、のを、心から理解してあげれる事ができた訳です。


なかなか、自分の身に沁みないと、「違い」を理解してあげる事は、難しいかもしれません。

でも、「違うのだ」という事を知っておくのと、「当たり前」だとひとくくりにするのとでは、対応の仕方が変ってくるように思います。



金子みすずさんの詩のように、「みんな違って、みんないい」わけですよね。

なので、わたしの同居のコツは「いのちに別条が無いことは、どっちでもいい」でした。

そう思っていると、たいていのことは、ま、いいか!と思えるんですよ。

(介護のコツは「いのちに別条があっても、どっちでもいい」になりましたけどね★乱暴ではありますし、家族だからこそ言えることだけどね)


こだわる事も大事ではありますが、そのコダワリを、相手に押し付けないこと、が大事なのかもしれません~。

それぞれが、自分の人生ですものね。


色々違うから、面白い。

そして、違うから、あゆみよる事もできて、それはまた嬉しいことでもありますね。




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