おばあちゃんの知恵袋・その2「コトバのかけ方」

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子育てさなかには、なかなか気づかなかったことも、3人の子どもたちが成人し、10年の介護も卒業してみると、いろいろと分かってきた事があります。

そんなおばあちゃんの知恵袋、第2弾です。

コトバの力については、前に記事にしてあるのですが(こちら)、今回は、ちょっとした声のかけ方の実体験です。

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小さい子供も、たぶん認知症などのお年寄りも、そのままの「言葉」に反応することがよくあります。

もしかしたら、コトバになる以前の「雰囲気」や「態度」も感じ取っているのかもしれません。

別に怒っているわけじゃないのに、「怒ってる」と言われた事って、ありませんか?

「コトバ」って、音声で発声する言葉だけではなくて、思っている事も、そして態度や表情も、「コトバ」なのですね。

私は三人目の子が2歳くらいの頃に、上の子供たちに別に小言を言ったわけでもないのに末っ子に「ママ、もっと可愛い声でお話しして?!」と、言われてしまった事があります。

上の子たちを怒っていたわけでもないのですが、いつの間にか、キビシイ言い方をしていたようで、ビックリして、反省した事があります。

注意するときのことばがけ 

「落とさないで」、「こぼさないで」、「投げないで」って小さい子どもなどに、つい言ってしまう言葉ですが、みとごに、反応されてしまう事がよくありました。

幼児期の子供って、素直なので『ことばそのもの』にちゃんと反応するのではないかと思うのです。

ウチの長男くんが1~2歳のころは、かなり活発なヤンチャさんでした。

石を持てば投げたりするので、ついつい「投げちゃダメ」と言ってしまうんですね。

でも、そうすると投げるんです。

で、あれ?言葉に反応してるのかな?と気づいてですね、「そーっと置いてね」と言うように変えたのです。

彼は「石」というモノを研究していただけで、投げたら危ないというのは、大人の考えだったんですよね。

そして、そのようなコトバ掛けをすると、ちゃんと息子もそ~っと置いてくれるのですね。


日常的に、つい経験豊富な大人は、先を見通して自分の「経験」を押し付けようとしていたんですね。


プラスなコトバかけ

ついつい、心配するあまりに平坦な道を通らせたい、または、失敗された時の尻ぬぐいを避けたいので、「やめて~」という言葉かけをしてしまいがちなのではないでしょうか。

例えば、雨に濡れて帰って来たときに、つい「風邪ひくよ」と言ったりしないでしょうか?

ゲームばかりやってるときに「目が悪くなるよ」と言ってないでしょうか?


でも、なぜ、マイナスを予想させるコトバ掛けをしなくちゃいけないのでしょう~?

濡れて帰ったら、着替えさせたり、お風呂に入れてあげればよいだけなのに。

強いね、元気だね、と言ってあげても問題ないですよね。

濡れる=風邪、に結び付けるイメージを潜在意識に刷り込むと、潜在意識のパワーが発揮されてしまいます。


と、ある時に気づきました。

もしかしたら、大人になって雨の中でも仕事をしないといけないこともあります。

画面を見続ける仕事をするようになるかもしれません。


そんなときに、子供のころに刷り込まれた「濡れたら風邪をひく」とか「目が悪くなる」とかって、邪魔になるかもしれませんよね。

コトバには生み出す力があるのですから。


それで、なるべくコトバ掛けを変えるように、努力しました。

それでも、ついつい、言ってしまう言葉も沢山ありますが・・・

それこそ、自分の潜在意識に刷り込まれたコトバが、同じような状況になった時に、自動的に出てきてしまうものですね。


でも、おかげさまで、ほら熱が出るよ、とかほら風邪ひくよ、という病気を予想させるコトバはかけられて育たなかったので、そのようなコトバ掛けを自分もせずに済み、ありがたいです。

介護も同じかも

3人の両親を介護して、お見送りさせていただきました。

母二人は認知症でした。

よく子供に帰ると言いますが、やはり否定の言葉掛けがNGでした。

子どもには、注意したら直せるかも?という希望もありますが、老人相手に注意のコトバは否定になってしまいます。

そもそも、今まで出来た人が「出来なく」なっているわけなので、注意されたって直せないわけです。

そして、色々な事が出来なくなっても、大人なのでプライドは忘れていません。


うっかりマイナスなコトバ掛けをしてしまうと、急に人格が変わって怒りだしたりする事があるのが認知症なのです。

注意出来ることって、ありがたい事だったのだと思った記憶があります。

なので、「全部肯定する」という訓練をさせてもらいました。

人生には、そんな時期が必要なのかもしれないな?とも思いました。


赤ちゃん時代は、ほとんど「全肯定」ですが、もしかして、その時期に肯定してもらえなかった残り?が、人生の最後に必要になってくるのかも・・?

なんて、考えたりしました。

本当のところはわからないけれど、もしかしたら、必要なのかもしれません。

そう、思うと「否定」の言葉よりも、「肯定」の言葉って、とても大事かもしれませんよね。

どちらにしても、そのお陰でずいぶん鍛えられました。

終わってみたら、とても良い経験でした。


きっと、それぞれに必要な経験として、色々な出来事があるのでしょうね。

そう、思って過ごせば、たいていの出来事は「受け止める」事ができます。

受け止めると、前に進む知恵が出てくるので、コトバ掛けにも知恵が生れるような気がします。


今回は、思いつくままに、雑文を書いてしまいました。

何か気づくきっかけにしていただけたなら、嬉しいです。

長々と読んでくださり、ありがとうございました。



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