脳の学者ではないので、科学的な研究結果ではありませんが、弟が6人もいる環境で育ち、男女それぞれを育てた中で、どうもコトバの「聞こえ方」「理解の仕方」って、違うのでは?と感じてきました。
そして、それが判ると、夫さまや息子たちへの対応、そして、腹の立ち方が変わった気がします。
「違いを理解」することで、怒らなくて済むことが、沢山あるような気がするのです。
ずいぶん以前に「話を聞かない男、地図の読めない女」という本が、話題になった事がありましたよね?
男女の脳の違い、という事が載っていたと思います。
男女だけではなくて、男脳寄りの女性も、女脳寄りの男性もいるとは思います。
でも、不思議な事に、夫婦とかのパートナーって、割合真逆な脳でペアになっているような気がします。
もしかしたら、離婚の原因になる「性格の不一致」は、あたり前の事なのではないかと思うのです。
そして、もしかしたら真逆だから「良い」し、「必要」なのではないかと思っています。
夫婦は外から見ると「同じ色」だけど、性格、役割が「真逆」なのではないでしょうか。
元々が「違う」ってわかっていたら、「歩み寄ろう」という努力も出来るのではないでしょうか。
「適応障害」とか「学習障害」なども、脳のでこぼこだと言われています。
私自身も、少しその気があるなぁと思いますが、結局は「普通」っていう人はいないのではないかしら。
「自分」を基準にして見てしまうから、「人がおかしい」と思うだけですよね。
「相手」からみたら、「私」がおかしいという事になります。
よく母が、家族で食卓を囲んで、明日どうする、というような話をしていても、話が通じているのは、母と私だけで、男の子たちは、わかってないよ、と言っていました。
男の子たちに話をするには、一人一人名前呼んで、こっち見てから言わないと通じないのだと、よく言われました。
たぶん、男性脳は一つの事を追求したり集中する事に秀でている脳なのだと思います。
それに対して、女性脳は、後ろを向いていなくても、後ろで話していることが聞こえて、理解できるのです。
たぶん太古の昔から子供を育ててきたから、(幼児は正直「宇宙人」とも言えますよね・・)あちこちに注意がむくように出来ているのかもしれません。
一つの事に、集中してしまって他に気づかないと、命の危険があったので、DNAに組み込まれているのかもしれませんね。
夫と話しをしていても、「何を言っているのかわからない」といわれる事がよくありました。
何故?と説明しても、なかなかわかってもらえない事がよくあって。
女性同士で話すような話し方だと、わからない事が多いのだと、だいぶ経ってから気づきました。
おそらく、世の男性は、奥方が「何故怒っているのか?」、気づかない、理解できていない事って、多いのではないかと思います。
そして、「家庭の平和の為に」黙ってしまう男性が多いのだとも思います。
男女は、一つの同じ「モノ」を見ていても、まるで「見え方」が違う事があるのです。
よく「構造を見たらわかるでしょ?」と、夫に言われる事があり。
娘と二人で、「は?」って感じなのですが、息子にはわかるのです。
たとえば、ナイフの柄の構造を見ただけで、こちら向きに置けば、刃先が下に付かない、とかが、男性脳は瞬時にわかるらしいです。
以前、3.11の後で、「計画停電」がありましたよね。
あの時も、私はどうせ、停電になるなら、「ぎりぎりまで、停電するかしないかわからない」って言わないで、足りないなら停電にしちゃえば?とか思った訳です。
ところが「それでは意味がない」って言われて、意味がわからなくて、よく説明してもらいました。
それで、初めて「電気は生」っていうのか、「今発電した電気を、今使うしかない」という、男性脳?からしたら「当たり前」の事実が、やっとわかったのです。
(これは、知らない人が案外多いと思うのだけど、私だけがおバカだったのかしら・・・)
東電の人も、そこの「電気は貯めれないのだ」という基本的事実を、最初に説明したらわかりやすかったのに、とよく思ったものでした。
だから、リアルタイムに発電量と使用量のバランスを、いつも計算しつつ発電していてくれる訳なんですね・・・
どちらにしても、基本的なコトバの理解の仕方に、そもそも齟齬があるよね~と、50歳過ぎてから、やっと気づくようになりました。
女姉妹だけで育った人が、男兄弟だけの相手と結婚した場合、お互いの「基本的な違い」に気づかないまま、「相手が変」だと思ったまま過ごすことは、案外よくある事のような気がします。
母同士で会話をしていても、男の子だけの母と、女の子だけの母と、男性に対する理解が、ちょっと違うのです。
もちろん、家族内での会話や、色々な人との関わりの中で、「それぞれの違い」に気づいている場合と、気づかずに大人になる場合があります。
色々なタイプの人と、特に苦手なタイプな人と、出会って関わることって、もしかしたらとても大事なことだったのかもしれませんね。
一人一人はみんな「違って良い」はずなのに、つい家族になると、「同じ事が当たり前」だと、思っていたりするのかもしれません。
パートナーとも、同じ話をしても、「受け取り方が違っている」ことを、一つ一つ確認しながら暮らせたら、齟齬が埋めていかれるのかな~と思うのでした。
なかなか、そこが難しくて、何年も過ぎてから「え?そんな風に思っていたの?」という事が、ままあるのですけれど。
けれど、「違う」ことは悪いことではありません。
夫婦で、少し違う見え方のお陰で物事を「立体」に見る事ができるのかもしれません。
(右目と左目がずれて見えるから、立体に見えるのですよね~?)
夫婦や家族だけに限らず、出会う人が皆「違う」事が必要なのだと思うのです。
だって、雪の結晶も、葉っぱの葉脈も、無限にあるのに、全部が無限に違います。
増して、人間は。
今まで何億と生まれた人も、これから何億と生まれる人も、全部「違う」はず。
きっとそれが、宇宙にとって、大自然にとって「必要」なことなのだと思うのです。
わたしは、その事実に気づいたときに、ちょっと引きこもりになった主人も、ちょっと学習障害グレーと言われた息子も、不登校になってしまった娘も、ガンになってしまった自分も。
そのまま、受け入れることが出来たように思います。
そして「受け入れる」ことができると、前に進むことができるのだと思います。
どうぞ、自分の「当たり前」だけが「善」だと思わずに、「違いを受け入れて」みてくださいね。
片づけれる人、片付けれない人、ゴミを見える人、見えない人、見え方聞こえ方匂い方、全部が違うのですもの。
その中で、どうしても自分には納得できないことは、ちゃんと向き合って、話し合ってみることをお勧めします。
きっと解決に向かう事ができるのではないかと思います。
そんな、ばあちゃんの智慧でした~。
読んでいただいてありがとうございます。
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