昨年見送った実家の母は、最期の10年くらいは認知症を患っていました。
認知症の介護をされてる方は、あるある!だと思いますが、まぁ、何しろ探し物が多いんですよ。
本人は、しごく真面目だし、決して隠したりしてるつもりは無いのですけれどね~。
実家の父が亡くなるまでの2年間は、父が寝たきり要介護5で、母が要介護3だったので、毎日通いで行っていました。
いつだったか、母を病院に連れていくので、前日に保険証を探して、用意しておいたのです。
認知症とはいえ、大人だし、ちゃんとプライドはあります。
なので、ここに保険証用意しておくからね、明日は一緒に病院にいこうね、と声をかけておくわけです。
ところがですね、翌日行くと、無いわけですよ、保険証が。
で、保険証をどこかに置いたかな?と聞いても、あら、どこかしら~?っという訳です。
ここで、怒ったところで、完全に覚えていないわけですから、気分悪くされて余計面倒くさい事になります。
で、二人でどこかな~?と探すのですが、途中から母は「何を探しているんだっけ?」とくるわけです。
「う~ん、保険証なんだよ~。昨日ここに置くねって言ったんだけどね~」と言いつつも。
病院の予約時間は迫ってくるし、1時間探してもみつからない。
で、もう保険証無しで行くか・・と諦めて、行く支度してたら。
「これは何だったかしら~」と、ポケットから保険証を出して来るんですよ。
「ハイ、お母さん、探してたのはコレですよ~」ってね。
もう、笑うしかないですよね。
毎回、そんな感じなんですね。
だんだん、大切なものは、母が触れない見えない、高いところに置いたりしていました。
けれどちゃんと、大人対大人の対応で、言うべき事はちゃんと言っておかないと、プライドが傷つくわけなのです。
つい、うっかりと赤ちゃん相手みたいな扱いをしてしまったり、父にだけ予定を話して、母に伝えるのを忘れていたりすると。
どうせ、言っても忘れちゃうよね?なんて思って言い忘れてた、そのような事は、察知するらしいのです。
いつも温和な母だったのに、そのような時は「認知の発作」で人が変ったように目が三角になり、別人のように怒り始めたりするのです。
と、いう事がだんだんわかってきました。
なので、どうせ忘れちゃうかも?と思っても、「忘れなかった昔の母」にだったら、ちゃんと話したように接しないとダメなのだ、という事を学習しました~。
その上で、無くされたら困るものは、私が預かっておくとか、無くされないように知恵を働かせるようにしました。
まぁ、それでも、何故か、ディサービスの準備しようと思ったら、靴下は片方ずつしか無い、何本もあるはずのズボンも見つからなかったりします。
で、家の中をあちこち探すと、意外な場所にしまってあったり、別のカバンの中に、さらに何重にも袋に入れて縛ってあったり。
たぶん、大事だからしまっておかなくちゃ、と思ったのだろうな、とは思うけど・・・不思議な場所から出てきたりしました~。
義母を見送った後で、実母を引き取ったのですけど、その時は、動ける認知症の要介護5でしたので、なかなかハチャメチャでした。
毎日、スリッパが消えまして。
なぜか自分の洋服のお腹に入れてあったり、階段あがれないはずなのに、二階の階段の途中に、写真のように挟まっていたりしました~。
こうなると、もう「脳の誤作動」も訳がわからない感じですよね~。
けれど、それってきっと本人は「不安」だっただろうな、と思います。
毎日が、「浦島太郎」状態ですよね。
まぁ、それも忘れてしまうし、後半になると、正直母が何を思っていたのかは、わからなくなってしまう訳ですけれど。
けれど、怒ったり悲しんだりすると、「そのマイナスのイメージ」だけは何故か覚えているのですよね。
きっと、脳の別の部分で感知しているのでしょうね。
終わりに向かっている
そして、介護には「必ず終わり」がきます。
まぁ、介護しようがしまいが、健康だろうが、病気だろうが、若かろうが年取っていようが・・・肉体の生命には、必ず終わりが来る訳です。
これって、わたし自身が癌を患ったお陰で(←当時のリアルタイムブログ、クリックでとびます)実感として感じられるようになった事なのです。
必ず「卒業」があって、この世とのお別れが来るけど、それまでは「生かされている」わけで。
それだったら、生かされている間は、とにかく笑って、「いま」出来ることを精一杯やって、生きるしかないかな~って。
なので、とにかく「笑い飛ばしちゃえ~」って感じでした。
そう思って、対峙すると、何となく見え方が変ってくるんですね。
まぁでも、怒ったり、いい加減にしてよ!と言ったりしたこともありますよ~☆
こちらの精神衛生上、我慢してばかりはいられません~。
でも、そんな時があっても良いのだと思うのです。
それも、コミュニケーションですものね。
結構、今までやった事のないようなケンカもしました~!
今思うと、それはそれで、発散できて良かったのかもしれません。
そして、認知症の人ばかりではないと思うけど、すぐ「帰ります」とかって言うんですよ。
始めは私の家にいるからか?と思ったけど、自宅にいる時でも、もうどこに居ても「帰る」って言うのです。
それで、気づいたことがありました。
母が「帰りたい」のは、「昔の、一番元気だった頃の自分に」帰りたいのではないかな、って。
で、それはもう不可能なわけで。
それに気づいた時に、無理に在宅介護にこだわるのは止めようと思ったのでした。
「動ける認知症の要介護5」って、正直、在宅での介護は、一人では無理があると思います。
なので、実母は最期は特養にお世話になる事になりました。
プロに看ていただけて、良かったと思います。
もうひとり、要介護5の義母の方は、最期は寝たきりだったけど、認知症が本人にも救いだったような気がします。
色々な事が気にならないですからね。
そして介護する私の方も、寝たきりだと、ベッドから落ちないし、どこにも行かれないから、少し置いて出かけられるし、暴れられないので、助かりました。
なので、義母は最期まで家でお世話させてもらって、コロナの最中でしたが、家族で看取ることができて、ありがたかったです。
これは、とても貴重な経験でした。(この時の体験談はこちらから)
で、わかったことは。
「どっちでもOK!」ってことです。
それぞれの家族の在り方も違うわけだし、症状も違うし。
「こうでなければならない」はありません~!
そして、終わって思うことは。
ただ、「ありがたい経験だったな~」って思うのです。
介護するも、しないもOK。そして介護されるも、されないもOK!
在宅でも施設でも、どっちでもOK!
万事好都合~!なんですね~。
と、思えると、何がやってきても「大丈夫~!」
と思えるように、「ワク」が広がりました!
長くなりました~。読んでくださって、ありがとうございました。
(介護体験・・・まだ続きます~)
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