何か事件や事故、天災などが起こった時に、すんでのところで助かるということってありますよね。
「九死に一生を得る」というような事って、気づかないだけで、もしかしたら誰にでもが起こっているのかもしれません。
無事だった時って、実は危機一髪だった事に気づかないこともあり得るわけですから。
そんな、危機一髪だった体験を、先日も偶然聞くことができました。
たまたま、ご実家はどちら?って話になって。
そしたら、彼女のご実家は「岩手県」だそうで、ちょうど、あの3.11の数日前にご実家の御父上が亡くなられて、葬儀で帰っていられたのだそうです。
それも、10日に葬儀が終わり、11日の早朝には、関東に住む家族を駅に送って、彼女は親戚の方と、父上が入院してた病院に支払いに行ったんだそうなのですが。
その病院は海沿いの病院で、お昼どこかで食べてから行こうかと思ったけれど、途中のコンビニでおにぎり食べて、そのまま病院に行くことにしたそうです。
それで、支払いを済ませて、高台にある親戚の家に向っている途中、車の中で、あの大地震にあったのだそうです。
お父上はいったん良くなって、皆さんに挨拶までされてたのに、急変されて亡くなられたそうです。
でもそのお陰で、家族の皆さんも病院から出られたわけで・・・その病院は、津波で流されてしまったんですって。
海に近かったご親戚の家も流されてしまったけれど、葬儀があったので、足の不自由なご親戚も、皆さん、高台の方のお宅に来られていたとのこと。
まさにお父上のご葬儀のお陰で、皆さんが護られたわけですよね。
そして、実はわたしも、あの日、お世話になった方のご主人のご葬儀に参列していました。
それが、本当はあの日、自由が丘で料理があって、その後横浜に行く予定にしていたのに、なぜかなんとなく行きたくなくて。
それで、葬儀は前日のお通夜に参列でも良かったのだけど、当日の告別式に参列する事にしたのです。
それが、また不思議な事に、前日になって、当日の告別式の時間が、1時間早まったのです。
そのお陰で、皆さん、地震の前に、帰宅することができたわけです。
関東でも、あの日は帰宅困難者が、都内から列を作っていましたよね。
あの時は、わたしはまだ手術から間もなかったので、帰宅困難にならずにすみ、本当にありがたい事でした。
後で考えると、きっと、誰かに何かに、護られていたにちがいないのだ、と思います。
ご先祖さまとか、守護霊さまとか。
呼び名はいろいろあるかもしれないけれど、それはどっちでも良くて。
目には見えないけれど、わたしたちを護り、導いていてくださる存在が、いつも、そばにあるのだと、わたしは思っています。
だからこそ、良心に沿った生き方をしたいなと、おもうのです。
そしてきっと、そういうパワーと、波長を合わせることが、一番重要だと思うのです。
今年は、お正月から地震もあちこちで起こっていて、ちょっと地球の動きの年なのかな?みたいな感じがありますが、そんなときでも、「いつも護られている」という安心感で過ごしたいな、と思うのでした。
noteに投稿した「やっぱり護られてる」記事はこちらをクリック。
気が付いていないだいけで、きっと読んでくださってる皆さまにも、偶然のようだけど、じつはきっと「護られて」大丈夫だったという事って、あるはずだと思います。
つまずいて転びそうだったけど、大丈夫だったとか。
車の運転中とかにも、ヒヤッとした事ありますよね。
意識して、ありがたいな~という気持ちになると、より護られると思いますので、ぜひ、思い起こしてみてくださいませ。
山梨県で運転免許を取って、運動音痴、方向音痴のワタシが、神奈川と山梨を中央高速道路往復して、何事もなく無事だったのは、いつもしっかり護られていたからに他ならないと思っています。
免許取りたてで、初めての雨の運転の時など、赤信号で停止線がわからなくて、停止線はどこ?と探してトロトロ走ってるうちに、交差点を渡り切ってしまった事もありましたし・・・!
交差点で信号待ちしたまま、エンストしてしまって、動けなくなったり。
家族は誰も免許持っていない時に、他県で初めて免許を取って、中古の軽を買えたのも、当時一緒に働いていたKちゃんのお陰で。
山梨まで、初乗りで車を運ぶ時も、一緒に乗ってくださったKちゃんパパさんのお陰でした。
たくさんの方のご縁によって助けていただいて、生かされてきました。
人との出逢いも、天からの導きもあって、出逢うべきタイミングの人と、出逢わせていただいているのではないかなぁと思うのです。
やっぱり、毎日護られて、生かしていただいているなぁと思うのでした。
そのご縁を、活かしていかないといけないですよね~。
読んでくださったご縁にも、感謝です。
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