子育てさなかには、なかなか気づかなかったことも、子どもたちが成人し、10年の介護も卒業してみると、いろいろと分かってきた事があります。
そんな「おばあちゃんの知恵」を、ときどきお届けしております。
私は結婚当初から、義両親と同居でしたが、そのお陰で色々学ぶことがありました。
とにかく最初のおどろきは「あたり前が違うこと」でした。
この事については、以下の記事に載せてあるので、ご参考になさってみてくださいませ~。
一人っ子の夫でしたし、経済的にも、実家よりも豊かだったこともあるのでしょう。
特に義母は、とても愛深い母でしたので、もうもう辟易するくらいに、色々「手を出して下さる」母でした。
ありがたいけど、「自分のやって欲しいタイミングに、やって欲しいやり方で」してくださると、とても嬉しいけど、それって、考えたら不可能に近いワケです~。
そして、わたしも20代で、まだまだ許容量が小さい自分だったんですね。
ありがたいのに、それをありがたいと思えなくて、苦しい時がありました。
起きたら、洗濯ものをしてくださってあり、子供たちを遊ばせてる間に、洗濯ものは取り込まれていて、綺麗に畳んでくださってある。
子供たちの洋服は、サイズ違いの同じデザインを、一度に5~6枚は買ってきてくださる。
実家に行くときには、持ちきれないくらいのお土産を持たせてくださる。
子供の好きなお菓子は箱買いしてあり、ご飯の前でも、くださるし・・・おもちゃも、365日誕生日状態・・・な、とてもとても、ありがたい両親でした。
とってもとっても、愛深い両親なのです。
お菓子は、ご飯の前はヤメテ・・・と言っても、1週間しかもたないし。
そして、何だか無言で「私は無能~」と言われているような、気がしちゃったんですよね。
けれど、わたしの一番の願いは、子供たちにとって「大好きなおじいちゃん、おばあちゃん」であって欲しかったのです。
そのためには、わたしが義両親と仲良くなるのが一番だし。
それに、わたしの思うような子育てが、成功するとは限らないし、子供たちは、ここの環境と家を必要として「選んで、生れてきてくれた」のかな、とも思えたのです。
ただ、わたしの「気持ち」を平常に保つのが、なかなか難しいことでもありました。
そしてそんな時に、実家の母が言ってくれた言葉は。
「受けるのも愛だよ」というコトでした。
与える人がいても、受取る人がいなければ、愛は成立しないのだから。
愛深い義母の、愛を「ありがたく受ける」という事が、今のわたしのお役目で、課題なのかもしれない、と思いました。
自分は長女で、「やってあげる」事は得意なんだけど、「やってもらう」のが苦手でしたし。
それで、同居の嫁はわたし1人だけなのだし、いつか両親はトシを取るわけで、いつかお返しできる時が必ず来るのだから・・・今は、とにかく素直にそのままただ、やっていただいちゃおう~と思いました。
それでも、気づいたら、取っておいた空き瓶は知らないうちに捨てられてるし(ちょっと別の場所にどけておいてもね)ええ~?って事も沢山あったけど。
でもそのまま、「受ける」ことにしました。
「そのまま受ける」気持ちになったら、案外楽になった事を覚えています。
それに、そのうち子供も3人に増えて、どんどん自分が忙しくなっていったので、義父母がいろいろ手を出して助けてくださることが、本当にありがたく、気にならなくなりました。
まあ、お互いに「ヒマ」だと、あれやらこれやら、気になっちゃうのかもしれませんね。
気にしてる暇が、無い方が良いってことかもしれませんね~。
そして、こっちが勝手に被害妄想的に「無能って思われてる」んだと思っていたのでしょうね~。
いや、でも別に万一ホントにそうだったって、別に良いわけです。
自分の気持ちも、相手の気持ちも、時に応じて、事に応じて変わることもあるワケですから。
それに、「翻訳して」勝手に能天気に、こちらが「良く」思っておけば良いだけなんですもの。
人それぞれ、課題が違いますが、起こってきた出来事を「そのまま受け入れる」ことは、結構問題解決の一歩のような気がしています。
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