子育てさなかには、なかなか気づかなかったことも、子どもたちが成人し、10年の介護も卒業してみると、いろいろと分かってきた事があります。
そんな「おばあちゃんの知恵」を、ときどきお届けしてみようかと思います。
今回の『翻訳』は、わたし日本語しかできませんから、外国語への翻訳ではありませんヨ。
相手の言葉を、翻訳して聞こう
大人も子どもも、そして自分も、特に身近な人に話をする時って、案外素直に言えないことってありませんか?
余計なことは、ぺらぺら喋れるのに、イザ肝心な言葉を言おうと構えちゃったりすると、ぜんぜん違う話になってしまったり。
家族相手じゃなくても、そんな事もありますよね。
本当は、謝ろうと思っていたのに、相手の雰囲気や戦闘的な言葉で、すっかり逆の事を言ってしまったりすることさえあります。
自分でも、そんな事があるので、きっと、相手もそうなのだと思うのです。
増して、相手が認知症だったり、何か病気を抱えていたり、精神的なマイナスを抱えていたりすると、こちらの言った言葉を完全に誤解されたりする事もあります。
そして、何を言っても、相手が「思い込んで」しまった事は、なかなか覆すのが難しかったりもします。
人間関係、なかなか難しいなぁと思うのは、こんな時ですね。
10年間、認知症の義母の介護をしてきて、色々と気づいたことがありました。
認知症の場合は、脳が萎縮したりするので、見えないものが見えたり、言って無いことが聞こえたり、色々訳のわからない事が沢山あります。
しかも、こちらは全くのド素人ですから、認知症にどんな症状があるのかなんて、わからない訳です。
けれど、わからないからこそ、色々観察をしてみました。
食事の介護していて、ご飯食べてる最中に、突然わたしの手を掴んで「このバカ!」と怒鳴られたりするんです。
「は?」「え?」って感じです。
最初は、なぜ私が怒られなきゃいけないの?と思ったけれど、だんだん観察しているうちに、義母が怒っているのは「自分の言葉」に対してかも?と気づいた時がありました。
耳が遠くて、まわりの言葉はあまり聞き取れない義母ですが、自分の声だけは大きくて、ずーっと喋っていたのです。
「なんだお前は、うるさいな!」と誰も居ない後ろを振り向いて言った時があり。
あれ?うるさいのは自分・・?
それで、もしかして、自分の声に怒っているのかも?と気づいたわけです。
そんな風に、観察しているうちに、コレは何も認知症の義母に限ったことでは無いのだと気づいたのです。
自分に対して怒ったり、コンプレックスを持ったりしてる時は、相手の言葉に対してもトゲトゲしかったり、冷たかったりする時もあります。
途中で、逆の事のように「思い込んで」しまう事もあります。
「事実」って、何だろう?と思ったのです。
「その人が思い込んでいるものが、その人にとっての事実」で「本当の事」は、10年経たないとわからない事もあり、10年後には、真逆になっている事もあり。
と、いうことは。
「自分がどう思うか?」が問題で、事実はどっちでも良いのかも?・・というと極論かもしれませんけれど。
でも、それなら、何があっても自分が「良いこと」「大丈夫、OK!」と捉えたら、何も問題無いのでは?と思ったのです。
それで、思春期の子どもが「クソババア」なんて言っても、あぁ本当は、「ママ大好き!」って言いたいんだな~とか。
ばーちゃんが言う「このバカ」も「お世話になるね、ありがとう」と言いたいんだな、とか。
もう、勝手に能天気に、「翻訳」する事に決めたわけです。
まぁ、それでも言われた瞬間に、沸騰してしまう事も、多々あるのですけれど。
けれど、ちょっとクールダウンすると、あ、そうじゃなかった、翻訳だ~と、落ち着くことが出来ました。
売り言葉に買い言葉、ですから、こちらが「同じ土俵」に乗らなければ、争いには発展しないものだと思います。
なかなか、毎回瞬間的に「翻訳」するには、経験値とか訓練が必要ではありますが。
特にちょっと相手に傷がある時などには、言われた言葉を「翻訳」して聞いてあげる事、大事ではないかな?と思っています。
もちろんただ、なぁなぁにしてしまえ!という事では無くて。
ちゃんと、言うべき時には言わないといけない時も、もちろんありますよ。
けれど、「時間が必要な時」や、何かの事情で「相手が出来なくなってしまっている物事」に対しては、何かこちらが「言っても仕方のない事」ってありますよね。
そんな時には、特に「翻訳して聞く」ことは、とても有効だったなぁと思うのです。
そんな、「おばあちゃんの知恵」でした~。
どなたかの、何かのお役に立てれば、さいわいでございます。
最後まで、読んでくださってありがとうございました!
関連記事