にこにこ介護のオススメ・・介護に限らず、にこにこ思考のオススメ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

以前のにこにこ介護の記録は、こちらから

終わってしまうと、本当にありがたい貴重な経験だったな~と思うのですが、今まさに介護のさなかにある方は、ひとつひとつが大変な事だと思います。

でも、「ものの見方を変える」という、貴重なターニングポイントでもあるように思います。

若い時と、介護の年齢になってからと、価値観が真逆になっていくというのか。


でも、両方を見ることが出来ることが、ありがたいことでもあるのだなぁと思うのでした。

<スポンサーリンク>








リアルタイム介護の時には、いろいろその時に感じたことを、SNSなどに投稿していました。

それで、Facebookさんからは、〇年前の今日の思い出、とかってよく出てくるのです。

(FB・2017年12月10日の投稿より)

”今日のばーちゃんは朝ベッドの中から

突然私の事を
「ダンナの奥さんかぁ、悪いなぁ」と不思議な事を言うので

「私は息子の奥さんだよ?」と言うと
「そうかぁ、息子の」・・と言うのだけど

何故か息子は居ない事になっていて
「息子はもう居ないのに奥さんに見てもらって悪いなぁ」と言う、、

いや、息子は生きてるから!と写真見せるも

息子は〜?と腑に落ちない感じ。

「おばーちゃん90歳なんだよ?だから息子もおじさんなんだよー!」と言うと

「そーかぁ、90歳?!」って笑うんだけどね。

夫の写真を見せても、しばらく写真みて

何故か「孫と暮らしてるのか、寂しいねぇ」と
やっぱり息子が居ない気がするらしく。

うーん

おばーちゃんの記憶の中の息子は、若い可愛い時の息子で

いま
目の前にいる息子はたしかにおじさんだから
誰?ってのはしょうがない事なんだろうけどね。

.

昨日はディで
”誰か友達が来てるから早く帰りたい”と
ずっと誰かと話してらっしゃいましたよ、と言われたんだー。

おばーちゃんの見える世界どーなってるのかな。

でも
考えてみたら、認知だろーと、そーじゃなかろーと

自分の思い込みの世界を、勝手に作りあげてるかもしれないよね。

本当の事って、10年たたなきゃわからない事って沢山あるんだもん。

いま、目の前に見えてる事が
全方向から見えてる訳じゃないんだもんね。

だったら、何が見えても、ラッキーな方向を見る!

自分の思いが、現実になってくるんだもん。

良い方向から見る訓練大事!だと思うんですよねー。

そーやって、何が起こってもラッキー引き寄せて来ました♪”



っていう投稿が、”7年前の投稿”・・って、突然出てきました。

それで、色々と思い出しました。

義母を見ていて、認知症の義母が自分で思い込んでいることを、まわりでいくら何と言っても変えることはできないこと。
なので、事実は右でも左でも関係なくて、その人の「思い込んでいる事」が、その人にとっては「真実」なのだと。

でも、それってよく考えたら、若い健康な人でも、その人が「これが真実」って思い込んでいる事って、本当は違っている事でも、本人が疑問を持たない限りは、なかなか変えることってできなくて。

実は一緒、たいして変わらないのだという事、に気づいたのです。



いま、仕事をしていても思うのですが、ある人が「A」と言っても、それを別の人は、「A’」と聞いていたり、聞いてるそばから「B」だと思うこともあるのですよね。

しかも、「B」と聞いていた人が、また他の人に言う時には「C」になってしまう事さえあります。

まさに、伝言ゲームで。

マスコミが発表する事だって、似たり寄ったりの「ある方向」に操作されて報道されている事も、よくある事です。

視聴者アンケートなどだって、アンケートの「聞き方」で、欲しい答えを誘導する事だって、できるわけだし。


なので、何を信じるか?何が本当だと見極めるか?は、結局はその人自身の中にあるというか。

むしろ、本当のことはどっちでも良いのかも?と、介護していて思ったわけです。


本当だと思っていたって、10年後に逆転することなんて、いくらでもあるのですし。
それよりも、「何と思うか?」「何と思ったのか」の方を覚えているわけで。


それなら、何が起ころうと何があろうと、自分が「良かった」「ラッキー」と捉えたら、それは「ラッキー」になる訳です。



いま、どん底~と思われるような中にいたとしても。
どん底なら、後は上がるしかないし、これ以上落ちる心配もないし。

もしかしたら、自分だけが「どん底」だと思い込んでいるのかもしれません。

自分が、何と思うか?がず~っと記憶に残って、自分の潜在意識に入っていくならば。
何があったって、いつもその時に「大丈夫」「ラッキー」と捉える訓練したら、良いわけです。

なので、介護はとっても良い訓練の機会でもありました。
まぁ、どうしてもその瞬間には「もう~!」って牛さん来ることが沢山あったけど・・・


だからどうだ、こうだ、と思うことを辞めて、「そのままを受け取る」ようにしたのです。
よく考えたら、別にどっちでも、良いわけですものね。



長くなりましたが、なので、どうぞ、今おこっている出来事が「どう」でも「こう」でも大丈夫。

自分が、大丈夫、これで良くなる!って受け取れば、後には絶対良くなる道がやってきます。
タイムラグはあるのだけれどね。

でも、楽しみに、どんな解決法がやってくるのか?を、走りながら待ちましょう。
何もしないで、座っているだけでは、解決は遅いと思うけど。

こうしたら良いかな?という事をやりつつ。
出来れば、宇宙の大生命に「祈り」つつ。

何があっても、いつもにこにこ、口角をあげて、今、を楽しく生きましょう。
きっと、時期が来たら(この時期を待つ、のも訓練ですけれどね!)素敵な花が咲くことと思います。

人気ブログランキング
人気ブログランキング

<スポンサーリンク>
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください