以前「おまけ」フォルダーを作って、日韓文化の違いを載せてみました。
その時に書ききれなかった分と、日本語を教えている方に聞いた話なども追加して「当たり前」の違いを載せてみようと思います。
真逆な文化を「知る」ことで、「相手がおかしい」のではなくて、「違うだけ」とわかると、許せるようになるように思います。
そしてそれって、日本人同士にも言えることだと思うのです。
正座と立て膝
韓国ドラマをたくさん見てきて、驚いたのは、正しい座り方の違いです。
日本人は、正座が正式な座り方・・・まぁこれも、令和の時代には、椅子とテーブルの家の方が多そうですから、時代が変われば何とも言えませんが。
韓国では、「立て膝」が正式な座り方なんですね。特に女性ですね。
時代劇の「ファン・ジニ」というドラマで、正しい「立て膝」の座り方を練習していました。
そして男性の支配階級(両班・ヤンバン)は胡坐が正しい、礼儀にかなった座り方なのだそうです。
それに対して、韓国での「正座」の意味は、日本人の感覚とはかなり違うようです。
下々のモノが、君主の前に出る時とか、「土下座」させられる時とか、そんな虐げられるイメージがあるのが「正座」のようなのですね。
現代ドラマでも、謝ったりする時に、正座をして許しを請う場面などが出てきますし、それに対して「そんな事はなさらないでください」とか言うわけです。
と、いう事は、そんな文化の違いを知らないまま、見た目そっくりで出会ったら、真逆な感覚の誤解を招いた事も多々あったのではないでしょうか。
日本人からしたら、いきなり、立て膝で食事されたりしたら、ずいぶん行儀が悪くて、失礼だと思うでしょう。(しかも食べ方のマナーも真逆なのですから・←前回の記事)
けれど、もし、それで正座しろ、みたいに言われたら、韓国人としては、ずいぶん見下されたような気分になった事でしょう。
お互いに、文化の違いを知らないということは、悲しい残念なことだなぁと思います。
見た目がそっくりな民族なのに、どうして、このように真逆なのか?が不思議に思うこともあります。
けれど、同じドラマを見て、同じように泣いたり笑ったり感動したりもするわけです。
だから、本当は「分かり合える」はずではないかな、とは思うのです。
くつの脱ぎ方
そして、これは韓国人に日本語を教えていた方から聞いた話です。
綺麗なお嬢さんが、あんまりな靴の脱ぎ方をするので、おどろいたそうです。
日本人は、小さな子供のころから「ちゃんと靴をそろえなさい」と言われて育った方が多いと思いますし。
たいてい、つま先を外に向けて揃えますよね。
ところが、韓国では、これは「早く帰れ」「長くいたくない」という意味になってしまうのだそうです。
そして、むしろ、つま先を家の中側に向けて、入ってきた時のまま脱ぐことで「福を呼びこむ」意味なのだそうです。
このような事って、いちいち聞いたりしないので、知らないままだとやはり「相手が変!」と思ってしまいますよね。
そして、見た目がもっと違う民族ならば、ビックリはしても、「違う」という事を容認できる部分もあるのではないかと思います。
なまじ、見た目だけではわからない、同じ黄色人種、お米も食べてお箸も使って、靴も脱ぐ、とても似てる文化がああるだけに。
誤解しやすいのだと思います。
そして、それは、同じ日本人同士にも言えることですね。
日本だって、地方によって「当たり前」が違い、家によって「常識」も違うのです。
結婚相手の金銭感覚、経済観念、優先順位、バターかマーガリンか、絞り方、切り方、細かいことも、実は全部違いますよね。
そして、別に「違って良い」わけです。
世の中に「まったく同じ人」はいないし、同じ人が居る必要も無いわけですもの。
「全員違うから良い」わけで。
ついつい、「真面目」な人ほど、相手の違いを許せなかったりしますけれど、「違いを楽しめる」と、とっても生きるのが楽になるのではないかと思います。
真逆、真反対でも、どちらも「良い」のですね。
いろいろ出来た事が、年齢と共にできなくなったり、見え方も、感じ方も、変わってきたりもします。
出来ても良し、出来なくても良し。
長いこと、介護をしてきて、ちょっと色々グレーな家族も居ると。
ただの「好き嫌い」と思い込んでいたことも、「わがまま」ではなくて、本当に「食べれない」こともあったり。
自分の思い込みや、当たり前が、いかに狭いものだったかを、思い知らされたりもするのでした。
けれど、そんな経験のおかげで、「違いを受け入れる」「受け止める」ことが、少しは上手になってきたのではないかと思います。
違いを受け入れる、ことができると、イライラする事も減るし、「良かった」事を探しやすくなるような気がします。
金子みすずさんの詩のように、「みんな違って、みんないい」で暮らせたら、もっと平和に暮らせるのではないでしょうか。